大学卒業50年を記念し都立大・工化・第11期卒同期会を開催しました

私たち工化・第11期のメンバーは1963年(昭和38年)3月に卒業しました。同期は25名で
それぞれが民間企業や或いは大学教職員として活躍してきました。
1963年というのは日本が戦後の復興から立ち上がり経済成長が進み始めた年でした。各人は新入社員時代から上司や先輩に叱られ、教えられ、鍛えられた世代です。サービス残業など当たり前であり、必死で業務をこなした思いがあります。
その後幸いにも日本は高度成長期に入り、私たちは「右肩上がりの良い時代を過ごした世代」とも言われますが、その間に「辛い業務に文句一つ言わず努力に努力を求められた」のが私たちの30代から40代の生活でした。50代になると、いわゆる平成不況に遭遇します。管理職として上からの指示と部下の統率に悩みました。中には、部下をリストラで首切る役目になったり、自ら転職を余議なくされた人もいます。
多くの仲間は60歳で定年退職をしましたが、まだまだ現役で働いている人間もいます。そんな長いビジネスマン生活も一区切りと考え、卒業50年記念として同期会の旅行を企画しました。

同期の仲間に滋賀県長浜市木之本出身の速水さんがおられます。京都や大阪は詳しい人も多いですが、意外と近江・滋賀県のことを知らない人も多いと考え、速水さんの地元の「滋賀県の名所を見物し、旧交を温めながら、歴史勉強をしよう」という企画内容です。
卒業メンバーは27名ですが、残念ながら既に4名の方は亡くなられています。今回は23名の中で13名が集いました。
日程は2013年5月23日(木)~25日(土)の2泊3日の行程でしたが幸いに天気に恵まれ、晴天のもとあちこちを見物しました。
23日の昼にJR米原駅に集合し、貸切マイクロバスでまず古戦場として有名な賤ケ岳に向かいました。麓よりリフトで中腹まで上り、そこから頂上までの急坂を登りました。織田信長が本能寺の変(1582年)で明智光秀に討たれて死に、秀吉が山崎合戦で光秀を打ち破りました。その翌年春に信長の後継者争いとなり、羽柴秀吉と柴田勝家が激しい戦さを行った場所です。約430年前つわもの達の戦いを考え、思い出にふけることができました。
その後、渡岸寺を参拝し国宝の11面観音を参拝しました。次いで小谷城跡に行きました。
ここは、織田信長と(その妹のお市の方が嫁いだ妹婿に当たる)浅井長政が1573年に戦った城です。政略結婚の犠牲が当たり前であった戦国時代を思い、長政の娘3人(長女の淀君、徳川秀忠に嫁いだ三女の妹江)のその後の運命の残酷さも感じました。
その夜は琵琶湖北端近くの旅館・須賀谷温泉に泊まり、仲良く酒を酌み交わしました。 
24日は長浜市内の曳山記念館を見物し、古くからある、曳山の見事さに感嘆しました。その後、井伊大老で有名な彦根城を見物しました。この城は江戸時代に入った1622年に徳川家康から井伊直継が建造を許された城であり、第二次大戦でも戦災にあっておらず、約390年前に建てられたままの天守閣や立派な日本庭園(玄宮園)が残されています。

その後、信長が建てた安土城跡を見物しました。建立してから僅か3年後の本能寺の変の後、
明智光秀側(?)に燃やされてしまったものであり、今は城跡のみでした。但し、近くに信長博物館(信長の館)が建てられており、天守閣の内部を再現していました。
当時日本に来ていた宣教師ルイス・フロイスが褒め上げたように、豪華絢爛な素晴らしい建築物であったであろう、ということを改めて知りました。
2日目は琵琶湖西岸にある雄琴温泉で汗を流し、昔話に花を咲かせました。
3日目の25日はゴルフ組と観光組に分かれました。 
観光組は、まず比叡山延暦寺を訪ねました。山奥深い山寺の雰囲気であり、約1200年前に伝教大師・最澄の開いた延暦寺を起点として、その後の多くの日本の仏教会派ができた謂れを感じました。
その後、山を下り三井寺を見物しました。ここは天智天皇、天武天皇、持統天皇などの由緒ある寺であり、奈良時代以前の日本歴史の原点であることを再認識しました。
最後に石山寺を見物しましたが、この寺は、紫式部が1004年に源氏物語を執筆した際に籠った寺と言われています。「平安時代の女流文学の先駆けがこの寺で始まったのだ」という歴史も学びました。
このような駆け足旅行でしたが、飛鳥時代、平安時代、戦国時代、江戸時代の名所旧跡を訪
ねることができ、70代になった同期の仲間たちも良い頭脳の刺激を得たことと思います。

卒業してから50年経った後でも「俺、お前」で過ごせる仲間が多くいる幸せを感じ、又来年
に再会することを約して、散会しました。
 以上、拙文ですが、寄稿させて頂きます。
東京都立大・工化・第11期卒 幹事代表 上條恭資 

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