東京都立大学応化同窓会 総会参加者の皆様
平素よりお世話になっております。
東京都立大学応化同窓会 会長の青木と申します。
以下の通り、東京都立大学応化同窓会総会のご案内を申し上げます。
...[続きを読む]「私が歩んだキャリアパス」講演会は、今年で第13回を迎えました。2023年10月14日(土)10時30分より、zoomによるオンライン形式で開催されました。出席者の参加しやすさを考慮して、オンライン形式での開催に決定しました。
講演は、修士1年の井上さんの司会で、OB・OGの方計3名の講演者から講演が進められました。
3月24日、平成26年度首都大学東京分子応用化学コースの卒業記念パーティに三谷副会長((25期)、私(18期)の2名が応化同窓会の代表として参加した。パーティは京王プラザホテル多摩センターで行われた。参加者は学部卒業生約60名、修士修了生約50名および先生方10数名であった。
パーティは教室主任の金村聖志教授の開会の挨拶に始まり、次に応化同窓会(本会)を代表して、私が挨拶を行った。同窓会の紹介や、卒業や修了してからの同窓会の意義、困難な状況になったときに同窓生に相談するのも良いことだなどをお話した。また、我々が現役学生のためにこれまで5回実施しているキャリアパス講演会などについて紹介した。分子応用化学コース同窓会の幹部の方々とはすでに数回にわたり相談してきており、来年度には二つの同窓会の統合を実現できる目安がついたことも、お話した。
本年1月27日(水)に、場所は、東京は新宿駅前の「がんこ新宿西口店」にて、我ら工業化学科(旧都立大)14期生の同期会が行われた。この日に開催したのは、昨年の同日に、長浜邦雄君の幹事により新年会を兼ねての同期会があり、その席で、これからは毎年今月今夜の(聞いたことのあるセリフだが)この場所で同期会をやろう、ということが決まったことによる。幹事はお前がやれ、といわれて断るのが下手なので、小生が、やることになっていた。
出席者は、昨年の13名より少ない9名だったのは残念であるが、新たな出席者もあり、また、昨年に続いて、お互いに元気な顔を合わせられたことは、うれしい限りであった。
昨年は、談論風発し杯を重ねて、後で飲み代を徴収するハメになったことに学んで、今年は飲み放題付きのコース料理を頼んだ。M新聞の読者川柳の「クラス会 病気のあとは 墓のこと」ということにはならなかったが、今年も、昨年に劣らずあちこちで話に花が咲き、時間の過ぎることを忘れるほどであった。昨年のサラリーマン川柳に曰く「だんだんと 脳から顔に しわ移動」なので、脳ミソにしわを補充するために気の置けない友と大いに語り大いに笑うことは、非常に結構なことである。しかし、これが顔に移動するとちょっと問題ではあるが…。
今から10年前の1月上旬、「最寄りの駅からハイキングバスが出ているけど行ってみる?」という妻の一言がきっかけになった。
現在私は36年余勤務した石油会社を4年前に定年退職し、地元千葉市のバス会社でウォーキングツアーのパート添乗員をしている。
10年前の私は、大腸に潰瘍ができる難病を患い2年間に4回(1回当たり1~2ヶ月)も入院するという闘病生活を経て、漸く通常の生活ができるようになるまでに回復したところだった。体力も少しずつ戻ってきたところだったので、ハイキングなら大丈夫だろうという軽い気持ちで出かけることにした。その時のコースは千葉県内の富浦漁港でアジの開き作り体験をした後、付近の岬を巡るハイキングや水仙の咲く丘を登る等のハイキングを行ない、出来上がったアジの開きを受け取って帰るというものだった。
平成26年11月8日の応化同窓会総会で会長の任を拝命してから1年が経過し、この1年間の同窓会活動を、各イベントについて経時的に報告します。
我々、都立大工業化学科第11期の卒業生が、今年も泊りがけで旅行に行ってきました。
都立大を卒業してすでに52年、殆どが後期高齢者ですが、なお、しぶとく高齢者に留まっているのが2名ほどおります。今だに現役(もしくは現役同然)というのも複数いて、ここ数年クラス会は泊りがけが続いています。
今回の行き先は、鹿島神宮(茨城県)と、千葉県佐倉市にある川村記念美術館と国立歴史民族博物館です。かなり高尚なところばかりでした。因みに、最終的にここに決めたのは、同級生中で最年長の柳町氏(満82歳)です。まだまだ元気ですが、寄る年波を感じさせることも多々あり、下見には自動車を自ら運転して回ったと聞いて、同行しなくて良かったと、密かに胸を撫で下ろしています。
以下、見物(見学)個所につき、私の雑感を申し述べます。
鹿島神宮:
11月18日東京駅八重洲口より高速バスに乗り鹿島神宮駅に直行しました。そこから参道を登って、大鳥居前でガイドさんと落ち合うことになっていました。しかし、その前に大鳥居前の蕎麦屋によって、昼食をとることにしました。水戸藩天狗党の面倒を見ていたという店で、天ぷらそばが1400円、やや高いが味が良かったのでまあまあでした。
首都大学東京応用化学科同窓会が主催した「私が歩んだキャリアパス」講演会が、回を重ね今年は5回目として、2015年10月16日(金)15時より首都大学東京南大沢キャンパス11号館110号教室で開催されました。
今回は、初めて現首都大学東京応用化学域の学生が主宰する首都大学東京分子応用化学同窓会と共催で行い、その会の会長松帆さん(M2)、副会長谷口さん(M1)とは、準備段階から一緒に活動しました。
出席者は修士1年生や学部4年生を中心とした分子応用化学域の学生25名と教職員2名、本同窓会からは講師4名と役員3名とOB4名でした。
講演に先立ち、大学側より学域長代理の高木教授から参加している学生に向けて、1949年から旧東京都立大学を含めて首都大東京には70年余りの歴史があり、大学や大学院を卒業・終了したOBをドンドン活用し、またOBの歩んだキャリアを勉強して欲しいとの挨拶をいただきました。
これに引き続き、以下に説明する4名のOBの講演者から講演が行われ、講演者の熱い話に参加学生は熱心に耳を傾けていました。
最初に須原由香さん(写真1:東京都立大学2007年卒 首都大学東京大学院2009年修士修了 井上研(光化学)コニカミノルタ株式会社)が登壇しました。
須原さんが今までに担当した環境配慮型の製品開発やトナー開発を含めた会社でのキャリアを通じて、会社と大学との研究開発の異なる点についても言及し、学生の聞きたい視点に寄り添った講演でした(資料1)。また、会社の海外青年協力隊休暇制度を利用した、2年間のサモア国派遣の中学理数科教師として赴任した経験談も学生には印象に残った内容でした。
2番目に三宅麻子さん(写真2:東京都立大学2008年卒 首都大学東京大学院2010年修士修了 井上研(光化学)(独)製品評価技術基盤機構)が登壇しました。
国家公務員に就職先を選択した理由に言及し、また現在NITE((独)製品評価技術基盤機構)で取組んでいる仕事内容とその国家的な意義についてもお話しがありました。社会人になって感じていることや女性が働く事への感じている点についても取り上げ、参加した女子学生にとっても貴重な経験談の披露でした(資料2)。
3番目に武井文雄さん(写真3:東京都立大学1982年卒、同大学院1984年修士修了 小林・伊藤研(高分子)富士通コンポーネント株式会社 )が登壇しました。
長年富士通の研究所で専門の高分子化学材料を通じた多くの技術開発の実績を披露されました。その内容は成功談だけでなく、製品化まで進めなかったテーマから学んだことを中心に企業における研究開発の実際を学生に分かりやすく説明されました(資料3)。そして仕事を通じて「面白い材料」に出会ったことにより、派手ではないが人のため、会社のために役立つご自身の材料開発への想いも吐露頂き、学生の心に通じる講演となりました。
最後に石岡治道さん(写真4:東京都立大学1978年卒、山崎研(有機工業化学)デュポン株式会社(常務執行役))が登壇されました。
毎年9月開かれる「鴎工会」が2015年9月26日午後3時から首都大学東京国際交流会館で行われました。会場のレストラン“ルヴェソンベール”には約30名(内約20名が旧都立大学教授会OB)の方が出席しました。
私の理解では、鴎工会とは旧都立大学工学部教授会OBが会員となって毎年1回旧交を温めるいわば同窓会です。当番学科は毎年交代制でもしかしたら来年は工化が当番?
今回は写真にもあるように、旧工業化学科・応用化学科OBからは飛田満彦、馬場宣良、山岸敬道、増田昭夫の各先生そして私長浜邦雄が出席しました。全員とてもお元気でした。ほかの学科からは旧機械工学科及び旧土木工学科からは各5人、旧電気工学科からは2人、旧建築学科からは2人などでした。なお、それに現役の先生方約10人が加わり、工化・応化関連では金村聖志、山口素夫の各先生に久しぶりにお会いしました。
今回の鴎工会は、メンバーでもある上野淳旧建築学科教授が今年4月から首都大学東京の学長に就任し、そのお祝いも兼ねて多くの旧都立大学工学部教授会OBが出席して盛況でした。
写真の前列中央で花束を持った方が上野現学長、一人おいてその右隣りが奥村現理事、後列の最右側が西村現副学長であり、いずれも旧都立大学工学部教授会メンバーです。首都大学東京の中枢を担う各位にこれからのより一層のご活躍を心から願っています。
恒例となっている7期クラス会を9月12日(土)、11時30分から14時30分までの3時間、銀座入母屋グラッセ店で行った。
我々のクラス会は記録に残っているものだけでも平成元(1989)年以来毎年行っている。会員は卒業時22名であったが、今年の出席者は半数の11名であった。青木、井上、金子、星野、吉武の5名が故人となり、川崎、田嶋、間島、吉田の4名は病気療養中のため、木暮と松村は都合がつかず欠席した。年々死亡や病気のため、出席者が少なくなってゆき寂しさを感じる。
会はまず、故人への黙祷、次いで乾杯、欠席者の近況報告、クラス会の履歴作成のための写真等の資料提供の依頼、応化同窓会の現況報告などを幹事が行った。
その後、各出席者が健康のこと、日常生活の事や思い出話などを話し、歓談し、非常に楽しい時間を過ごし、またたく間に3時間が過ぎていった。皆さん年を取ったためか、以前より食べなくなり、また酒量も少なくなった。来年の再会を約し解散した。
昭和41年3月に工業化学科を卒業した工化14期生13名が集まり同期会が開かれた。幹事(長浜)が苦心してまとめた最新の14期同窓会名簿には、35名の名前があるが、残念ながら3人(川本、中野、福村)が故人である。卒業してすでに約49年が経ち、全員が古希を越えた高齢者だがメールとはがきを使って連絡し、15名が出席の予定であったが、風邪などで2名が欠席し、当日は13名になった。
1月27日(火)午後5時から8時まで、新宿西口の「がんこ新宿西口店」で行われた同期会には時間前に全員が集い、互いに顔や頭を見ながら久しぶりの再会を喜んだ。中にはなぜか最後まで帽子を取らなかった人もいた? 卒業以来、つまり49年ぶりに再会した同期生もいたが、前よりはだいぶ量は減ったが、飲んだり食べたりしゃべったりしているうちに全員の名前を思い出した。
出席者は、浅田、安部、安藤、井上、尾原、来住、高松、竹内、多門、長浜、宮川、武藤、杢原の13人だった。残念ながら風邪などで当日欠席したのは、小島と白水だった。また、メールやはがきで近況を知らせてくれたのは佐藤悠(まだ現役)、堀野(98歳の母親介護)、宮腰(早く元気になって)、白水(まだテニス続行中)などだった。
春分の日である3月21日、平成26年度首都大学東京分子応用化学コースの卒業記念パーティに佐藤理事(8期)、三谷副会長((25期)、八木(18期)の3名が応化同窓会の代表として参加した。会場は昨年と同じ学内国際交流館内にある「ルヴェ ソン ヴェール南大沢」で行われた。参加者は学部卒業生約60名、マスターコース終了生約50名および先生方10数名であった。
パーティは吉田博久教授の開会の挨拶に始まり、次に応化同窓会を代表して、八木が挨拶を行った。挨拶は同窓会の紹介や、卒業や修了してからの同窓会の意義、また、我々がこれまで4回実施しているキャリアパス講演会などについて紹介した。分子応用化学の同窓会とはゆるい形で協調していき、最終的に合併を計って行きたい旨、述べ、参加者の賛同を得た。